12月の法話 お陰おかげの「お陰様」/鈴木春曉

 今年も残すところ、あとひと月。

 何かとせわしない十二月ですが、そんな時こそ楽しむことも必要ではないでしょうか。

 個人的に楽しみな事は駅伝のテレビ中継です。一つの襷に込められた思い。選手、スッタフが一丸となって臨む駅伝。選手の颯爽とした走りに心打たれるのは私だけではないはずです。

 運営、交通整理、エイドスタッフ…多くのスタッフによる協力があります。選手が気持ちよく走ることが出来る一つの要因にそういった陰なる努力があるのも見逃せません。

 ところで皆さまは「ありがとう」の対義語をご存知でしょうか。漢字で書くと「有り難う」となります。有ることが難しい。滅多にないことという意味になりますが、転じて稀有な存在に対して使う言葉が「ありがとう」です。

 ちなみに、「有難う」の対義語は「当たり前」だそうです。

 思い返せば、一日三度の食事。ぽかぽかなお風呂に入れること。ふかふかのお布団で寝れること…。どれも当たり前と思っていたこと。それがそうではなかった。と気付けば、自分も誰かのお陰さまになりたい。と、恩返しがしたくなるのかもしれません。

 日蓮大聖人は、出家の動機についてご信者様へ宛てて書かれたお手紙『佐渡御勘気抄』の一節に、「本より学文し候ひしことは(中略)恩ある人をたすけんと思う」と仰せになられております。お世話になった方がた、我が命を育む全ての存在への深い感謝。そういった存在に対する有難さを身に染みて感じておられました。だからこそ十二歳で清澄のお山に登られ、仏教を学び、困っている人を救い恩返しがしたいとお考えになられたのです。

 さて、令和六年も残すところ僅か。おれがおれがの「が」を捨てて、おかげおかげの「お陰様」で過ごしたいものです。

 感謝の気持ちで今年一年を締めくくり、新たな年をお迎えしたいですね。