3月の法話 森、アリ、IT/植田観肇

 秋の紅葉もきれいだが、冬の山に整然と生えるスギやヒノキの人工林もまた美しい。

 近年、頻発する土砂災害は人工的に植えたスギやヒノキのせいにされる事が多いが、これは人工林が悪いわけではなく、本来生えるべきでない場所に無理にスギやヒノキを植えたため起きたのだとも言われる。

 木にも個性があり、日当たりが良ければ少ない水でも育つ松や、日陰にも強いカエデなどがあれば、多くの水と栄養が必要なスギ、比較的水がなくても育つヒノキなど、木にも得手不得手がある。

 無理な環境に植えると自分の個性が生かせず、木も気の毒だ。逆に本来あるべき場所にあれば、木ものびのびと育って多くの生き物を育む器となり、さらに土砂崩れの危険も減るかもしれない。時間がかかるだろうが、いずれは得意な環境に戻ってその個性を発揮するに違いない。

 個性といえばアリにも個性があるという。例えば、働きアリの二割ぐらいは全く働かないのだ。これは全滅を防ぐための進化の結果らしい。外部からの刺激に対する反応に個体差があるのだが、もし皆が同じ反応だと環境の変化で全滅する可能性がある。しかし何パーセントかが違う反応をする事で万が一の事態に対応できるのだそうだ。

 技術の最先端、インターネット通信の仕組みも実は同じで、機械の反応に個性を持たせてある。同じ電線に同時に信号が流れると混線してしまうが、それぞれの信号の発信のタイミングに個性を持たせることで信号が混線する確率を下げているという。皆が同様に早く反応してはダメで、様々な個性があって初めて信号が伝達できる。

 法華経も同様に多様な個性を認める教えだ。みんな違うが全員成仏できると説く。自分に価値がないと思っていても、大きな視点で見ると必ず意味がある。そこにいるだけで尊いのだ。

 苦しい時代だからこそ、そのことを忘れずに力強く生きていきたい。