6月の法話 お題目によって明るい社会を/當山第三十二世日法上人遺稿

P1040736 今まで愛用していた携帯ラジオの調子が悪くなり、新調しようとある店に入った。若い店員さんが出してくれたラジオは、小さいのによく聞こえる。それを買って帰ってきた。

 ところが、帰ってから操作してみるとまったく判らない。今までのは数字を合わせればすぐ聞こえたが、今度のは数字など見当たらず、押しボタンがいくつかついているだけである。説明書を読むと、これはラジオだけではなく、テレビ音声、時刻表示また目覚まし時計としても使用できるというもので、誠に便利なラジオだという。が、私のような、説明書の小さな文字を見ることさえ困難な老人にとっては、その操作が判らず、困惑するばかりだ。

 こんなラジオでさえ次々と変化している。このように全て時々刻々と変わっており、その変化に追いついてゆけないことを痛切に感じる昨今である。

 ところで、このようなことはただ私たちの環境のみならず、心の面においても同じようなことが言えるのではないだろうか。ものの見方、考え方等々……。

 私たち人間はみな、その根本に三つの煩悩(貪欲・いかり・愚癡)をもっている。これらの煩悩が自らを毒し、社会を毒して幸福と平和を阻害している。環境等の急速な移り変わりにより、手を変え品をかえて段々と巧妙に悪質になりつつある。毎日のように起きている各種の事件や犯罪は、端的にこのことを物語っているといえるのである。

 日蓮聖人は「ヨモギという草は倒れやすいがまっすぐに伸びる麻の中に生えていれば、負けずにまっすぐに伸びようとする。また木はまっすぐでなくてもその材木に墨を打って用いるならば、それによって自らまっすぐになって役立つ。ただひたすらお題目を唱えれば、私たちの心はまっすぐになり、曲がった心はなくなる」と示されている。

 憂慮すべき現状を打開する道はただ一つ、信心お題目に頼るほかあるまい。