12月の法話 今日という日/箕浦渓介

「ああ、時間がない。何を書こうか。」

十一月の半ば頃、私はパソコンの前で頭を悩ませていた。というのも本原稿の締め切りが間近に迫っていたからです。

それなのに一切書けていない。

「気の毒に、年末の忙しい時に」と思って下さる方がおられるかもしれませんが、この件に関しては完全に自分が悪い。

なぜなら書くのが決まっていたのは十か月も前のことなのですから。

少しずつでも考えていればもう書き終わっていたはずです。

それなのに、まだ時間がある、まだ大丈夫、今日は気分が乗らない、とだらだら先延ばしにして全く手を付けなかったのですから。

やっと書き始めたのが締め切り二日前。

こんなことならさっさと済ませておけばよかったと思いましたが後悔先に立たず。

思い返せばいつも同じような失敗の繰り返しです。

全く学習していません。

そんな中、真如寺の朝のミーティング中、隣の部屋から「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんの声。(NHKの番組「チコちゃんに叱られる!」が流れていたようです。)

私にはそれが、懲りずに同じ失敗を繰り返す自分が叱られているよう聞こえてなりませんでした。

私たちの毎日の生き方についてお釈迦様が次のような教えを残されています。

―過ぎ去れるを追うことなかれ。いまだ来たらざるを念うことなかれ。

過去それはすでに捨てられたり。

未来それはいまだ到らざるなり。

ただ今日まさに作すべきことを熱心に作せ―

(『一夜賢善経』より)

お釈迦様は「今日という日を大切にせよ。一日一日を大切に生きていきなさい」と説き私たちを戒めて下さっています。

なんとなく迎えた今日という日。

それが実はありがたい一日であることを自覚し、その日にするべきことを丁寧に確実に行なっていく。

時間を無駄にすることなく。

それがチコちゃんに叱られないボーっとしていない生き方、一日一日を大切に生きるということなのではないでしょうか。