4月の法話 父の想い母の想い/服部憲厚

 コロナまっただ中の令和2年の冬、娘が誕生した。

 感染対策の為、病院では家族の立会いも面会も禁止されていたので、我が子の誕生に立ち会うことはできなかった。

 産気づく妻を病院に送り一人自宅でどうすることもできず、右往左往しながら仏さまに母子の無事を祈り手を合わせていた深夜二時「無事生まれた」と知らせを聞いたときの歓びは今でも忘れない。

 お釈迦さまの父、釈迦族の王である浄飯王も、我が子の誕生の場にはいなかったようである。

 お釈迦さまの誕生の日は四月八日。誕生の地はネパールの南部、ルンビニという美しい花園であった。

 お釈迦さまのお母さん摩耶夫人は臨月を迎え、出産の為実家へ向かう途中、この花園で産気づいた。百花繚乱のルンビニ園。中でも咲き誇る無憂樹の花に手を伸ばした瞬間、右脇より生れ出た輝かしいこの赤子こそ後のお釈迦さまである。

 生まれて間もなく七歩歩み、右手で天を、左手で地を指して「天にも地にも我一人尊い」と告げたという。これは後世の脚色もあり「生きとし生ける者すべての命の平等」を説いたお釈迦さまの尊い教えを讃えた伝説であろうか。

 その時、龍神が甘露の雨を灌いだという言い伝えに習い、誕生仏に甘茶をかけてお祝いする「灌仏会」が今の「花まつり」の由来とされている。

 さて、父の浄飯王は、ルンビニから遠く離れた釈迦族のお城カピラ城の中でその知らせを聞き

「生まれてくる子の安穏な到来を祈念し…大施会を催して人々に衣食を給与した…」(『ゴータマ・ブッダ』中村元著)と伝わる。

我が子の誕生を喜び、居ても立っても居られず、少しでも子の為に徳を積もうと考えた浄飯王の微笑ましい父の姿が目に浮かぶ。

 しかしこの七日後、悲劇が待っていた。母の摩耶夫人が亡くなるのである。

 四月八日は花まつり。

 父の想い母の想いにも想いを巡らしてみてほしい。