7月の法話 法華経の心とは/倉橋観隆

本誌ご愛読の皆様は法華経にご縁の深い方が多いと思いますが、このお経には苦しむ人々に寄り添う慈悲が説かれています。

この内『提婆達多の章』にこんな教えがあります。提婆達多(だいばだった)とは人の名前です。どんな人物か?釈尊(ゴータマ)の従兄弟でありながら最後は生きながらに地獄に堕ちたという壮絶な人物です。

 

提婆とゴータマは父親同士が兄弟で隣国の王子としてそれぞれ育ちました。

共に文武に優れその上ハンサム。しかし提婆はいつも一歩ゴータマに及びません。

年頃になった二人は同じ女性に恋をしましたが結果ゴータマが妻にします。嫉妬の炎に狂う提婆。

ゴータマは子どもをもうけながらも家を捨て出家してしまいます。更には出家したゴータマの元に大勢の人が慕って来るではありませんか。

これを見た提婆は今度こそ打ち勝ってやろうと自分も出家し、厳しい修行を積み重ね遂に神通力を具えるようになったのです。

しかし不純な動機の修行です、人は付いて来ません。怒り心頭に発した提婆は遂にゴータマを亡き者にしようと九度も殺害を企てます。しかし失敗し、生きながらに地獄に堕ちて行きました。

 

ところで法華経以外のお経はこの提婆の地獄行きを当然だと主張します。ですが法華経は正反対です。

法華経に説かれるゴータマは悪人提婆に心を寄り添わせます。確かに提婆の所行は許し難いことです。しかし彼のやり場のない葛藤を、ゴータマは心底受止め心から許したのです。

それどころか、提婆のお陰で自らの心を顧みることが出来得た。我が人生最大の恩人だとまで述べています。

一方、提婆もゴータマの心を知った時、初めて己の愚かさに気付き、足元に額ずき許しを請うたのです。

互いに相手の痛みに寄り添った時、両者は共に仏に成れたと説いています。

このように法華経は自己の心の内奥を顧みさせ、罪に気付かせ、傷ついた心を癒す、広大な慈悲が説かれたお経なのです。