1月の法話 御題目の法味/毛利観恭

P1050848 昨年はあらゆる意味で大変な年だったと思います。

 東日本大震災は大変という表現の枠を越えた災害でした。二万以上の人が亡くなられ、未だ何千人もの行方不明者がいる現実。

 原発に至っては廃炉まで順調に進んで、四十年後という状況です。

 台風でも和歌山県が経験した事のない集中豪雨により、河川の氾濫で交通が寸断され、またせき止め湖ができた事により、何十日もせき止め湖が決壊するかも知れない状況が続きました。

 海外ではアラブ諸国で国民による民主化運動。ある国では大統領が裁かれ、またある国では長年民衆に独裁者として畏れられていた支配者が、配送中に反政府軍に射たれて死亡しました。

 災害に関しては予測できませんでしたし、予測した人がいたとしても対策ができていませんでした。

 原発事故は人災というのが大方の見方です。

 災害の予測に関して、私達は短期的なら心構えできますが、長期になると忘れてしまいます。確実に認識できるのは今という瞬間です。未来の事は期間が長ければそれだけ無数に原因が加わり先行きが分かりません。分からないと意識が希薄になり忘れていきます。

 アラブ諸国の事では、独裁者は欲の塊です。欲にも二つあります。利他の欲と利己の欲です。国民のためというのは利他。自分のためは利己です。独裁者も最初は国のために立つのでしょうが、そのうち周りはイエスマンばかりになり自分に都合の良いように、利己に走ってしまいます。

 利他に生きることを菩薩行といいます。自身の損得に執着せずに生きることで、それは私達がお題目を無心に唱える事で実現するのではないでしょうか。透明な水に青を入れると青に染まり、濁った水に青を入れても青くなりません。青は得る徳で、水は私達の心です。利己に走れば心の水は濁ります。周りの他の人たちと共に悦びを分かち合うことで、より大きな心の満足が得られますよう、年頭に当たってお祈り申しあげます。