1月の法話 新年の御挨拶/日  慧


 初春を迎えご挨拶申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申しあげます。

 お正月の縁起物として、門松が先ず筆頭にあげられます。歳神様が迷わず我が家へ来て下さるようにと門前に立てるもので、松・竹・梅が飾られます。厳寒の冬期に緑を保つ松竹と、花を咲かせる梅。吉祥の象徴として祝い事に用いるようになったといいます。

 松竹梅の三つ、どれが優れており、どれが劣るということはありませんが、お弁当など品物を三段階にランク付けするときなど、この三つを使うことがあります。妙なもので、三段階を示されると何となく真ん中の竹を選びたくなるのは私だけでしょうか。

 ところで、その竹についてですが、竹は中が空洞です。但し完全な空洞のパイプではなくて、所々に節があります。この節が竹を強いものにしているのです。太さの割に長い竹は、風が吹けば大きく揺れます。雪が積もれば重みで曲がります。どちらにしても節がなければ簡単に折れて、根元から先まで大きく割けてしまうでしょう。節の果たす役割はまことに大きいものなのです。

 人生にも節があります。節目とも呼び、一生の間にいくつかあるもので、時に「厄」などというものも、その節目の一つとされています。厄と聞くと嫌なものだと思ってしまいますが、宗祖日蓮聖人は御題目の力によって、その節を乗り越えて、より強くなることができる。竹の節と同様なくてはならないものでもあるのだと説示されています。

 禍を転じて福とするように、厄を転じて丈夫な節とするような一年にしようではありませんか。

 なお、門松ですが、これには枝ではなく松の芯を使わなくてはなりません。当山では、自然保護の観点から昨年起ち上げられた「ブナ守の会」を支援しています。松についても同じ思いから、生育を見守るべきだと考えて、門松は控えることとしております。歳神様には御題目を目印においでいただいております。