12月の法話 御縁/辻田教融

 私事でございますが、先日結婚いたしました。家内と出会って七年目にしてようやくこの日を迎えることができました。

 振り返れば七年前、はじめてデートをした帰り、彼女の家まで送った時に初めてお寺の娘さんだと知り、衝撃を受けたのを覚えています。しかしその時、同時にそのお寺の本堂を見て、「私はお坊さんになるんだな」と直観したのを今も忘れません。

 以来、在家出身の私ですが、東京にある池上本門寺に修行に行き、信行道場を終え、この秋には日蓮宗声明師の資格も無事に取得することができました。

 本当にとんとん拍子でここまで来たなと思います。そして七年の道のりを思い返す時、初めて本堂を見た時から、本師釈尊が私を守り導いてくださったのではないかと感じています。私たちは久遠の過去から本師釈尊とのご縁を結んでいます。そしてそのご縁はずっと先の未来まで続いているのです。

 私もそうでしたが、釈尊とのご縁を忘れてしまった人が今大変多いように思います。新聞やテレビでは、毎日ショッキングな事件が報道され、少々のことでは驚かなくなるほど慣らされてしまったように思います。末法という言葉がまさに相応しい様相です。

 日蓮聖人は末法の様相を見せる鎌倉の町を見て『立正安国論』を執筆なさいました。それは釈尊とのご縁を忘れた人々にそれを気付かせ、また釈尊の下に戻ってもらいたいという思いから執筆なさったと拝察します。

 私たちと釈尊を繋いでいるのは五字七字のお題目です。このお題目には、釈尊の慈悲の全てがこもっており、また日蓮聖人の魂がこもっています。そしてお題目は私達同士を繋ぐものでもあると思います。

 一人でも多くの人にお題目をお唱えしていただくことこそが釈尊ならびに日蓮聖人への恩に報いる道であり、さらにはこの世のすべての人々の恩に報いる道でもあると信じています。