3月の法話 功徳を回向/植田観龍
先日、あるお檀家さんのお家で、おじいさんの法事を勤めさせて頂いた時のことです。
「お上人、一緒にお経読みますけど、気にせんと読んで下さい」と施主のご主人から言われました。このご主人とは、年に数回しかお会いする機会が無く久しぶりにお会いした日でした。「次は方便品です」と言いながらご主人を見ると、手にしているお経本がボロボロです。見た瞬間、私の中に何とも言えないものがこみ上げてきました。
お勤めも終わりご主人とお話をしておりましたら、「お上人、先ほど方便品の時、なんか声震えてましたなあ」と言われました。
「こんなにボロボロになるまでお経本をお使いになっておられるのを拝見し、尊い気持ちにさせて頂きました」とお答えしたわけですが、話を聞くと、何でも三代にわたってこのお経本を使われてるとのことです。
破れてはテープで補修をしての繰り返しで気がつけばこの状態とのことです。
『十王讃嘆抄』という日蓮聖人の御遺文に「孝養に三種あり、衣食を施すを下品とし、父母の意に違わざるを中品とし、功徳を回向するを上品とす。存生の父母だに尚功徳を回向するを上品とす、況んや亡き親に於いておや」とあります。現代語にすれば、親孝行には三つの段階があり、衣食住を確保する事は親孝行の第一歩です。親に心配をかけない事が第二段階です。中でも一番の親孝行は功徳を回向する事です。今なお生きておられる両親に功徳を回向すれば、両親の喜びはこの上ありません。ましてや、今は亡き両親の喜びはいかばかりでしょうか。という意味になります。
功徳というのは、現世・来世に幸福をもたらす善行のことです。回向とは廻らし向けることです。こうしてご立派に御本尊・ご先祖さんをお祀りしてお給仕をされて、おじいさんがお使いになられていたお経本をまた次の世代へと廻らし向け伝えていこうとされているお姿はまさに一番の親孝行というべきものです。