3月の法話 新しい光/末田真啓
仏間の照明器具が突然点灯しなくなった。二十年近く使っていたので寿命が来たらしい。とりあえず、他の部屋の器具と取り替えたのはいいが、照明器具のなくなった部屋は、卓上スタンドだけの不自由な日々となっている。
斬新なデザインが亡母のお気に入りだっただけに、出来れば修理したいと思ったが「修理するなら新品が買えます」と電気店の店員さんに言われてしまった。そこで新しい器具を見に行ったが、店頭に展示されているのは、いまや主流のLEDの照明器具ばかり。旧式?の蛍光灯は置いていない様子。メーカーでも、将来的に蛍光灯や白熱電球は環境問題もあって生産しなくなるらしい。
長寿命で低消費電力のLEDと青色発光ダイオードの発明は、照明の世界に大きな変化もたらしている。身近なところでは、信号機や街路灯などは、スッキリしてクリヤーに見やすくなった。高層建築のライトアップの照明は優しく、照らされているというより、あたかも建物自身が発色しているかのように錯覚するほどだ。そして、震災の鎮魂のイベント「ルミナリエ」は、多くの人々の心を癒す光となっている。新しい光によって、大きく世の中が変わったようだ。
世界を変えたと言えば法華経に新しい光を照らしたのは中国南北朝時代初期の鳩摩羅什(くまらじゅう)だ。法華経は古く「六訳三存」といわれて、いくつかの翻訳があったと伝えられている。その中でも「妙法蓮華経」は羅什の名訳と言われ、中国全土から集まった二千人の優秀な門下生と共に翻訳されたという。法華経の中心テーマである久遠実成の教えを説いた「如来寿量品」は、本拍子(速いテンポ)でも軽快に読経することができる。羅什訳の優れた所と言えよう。法華経の真実の教えに出会えた翻訳者の高揚した気分が伝わってくるようだ。素晴らしい教えに触れた感動を体全体で感じることができる。読誦行の醍醐味はそこにあるのかもしれない。