5月の法話 時間も生きている/倉橋観隆
先日所用で神戸へ行った時のことです。電車はラッシュの時間帯を過ぎ車内が比較的空いた状態でした。席に座ると真向かいに四、五才くらいの女の子がお母さんと並んで座っていました。女の子がお母さんに何やら一生懸命お話をしています。お母さんも彼女の笑顔を見つめながら答えています。とても微笑ましい様子を私は見るともなしに見ていました。するとお母さんのこんな言葉が耳に入ってきました。
「さくらちゃん、レッスンにはちょっと早いからデパートで時間つぶして行こうか」
するとさくらちゃん、
「つぶすって、お時間がかわいそう。痛い痛いって言うんじゃない」
お母さん、その言葉に不思議そうな顔をして娘を見ました。私も「えっ」と思わず彼女を見ました。
一瞬、時を置いてお母さんは答えました。
「そうか、そうね、つぶしたらお時間さんがかわいそうね。じゃあ、アイス食べて元気になって、お時間さんにありがとうしてからバレエに行こうか」
私はこんな光景に初めて出会いました。母親が言った「時間をつぶす」私も日頃何気なく使う言葉です。でも女の子は何をどう理解したのか分かりませんがただ「つぶす」ということに反応したのでしょうか。「そうなんだ。さくらちゃんにとっては時間も生き物なんだ」私は軽い衝撃を覚えました。
ところで六十一年のご生涯を送られた日蓮大聖人。ご一生はとても濃密でした。そのご遺戒は
「我が門家は夜は眠りを断ち、昼は暇を惜しめ。
一生虚しくすごして万歳悔いることなかれ」
時間は皆に平等に与えられた生き物なのです。大切にすれば生きるし、雑に扱えばつぶれてしまう。では現代の私達は時間を如何に生かすべきでしょうか。次のような言葉があります。
「朝は希望に目覚め、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る。お題目を口に心に頂いて!」