6月の法話 供養の心/倉橋観隆
「人は二度死ぬ。一度目は肉体の死。二度目は自分の存在を忘れ去られることである」そう語るのはドラマ『北の国から』の脚本家倉本聰氏です。
ところで私の知人のMさん。この人は神戸の長田区でパン屋さんを営んでいます。実は十八年前に起きた阪神淡路大震災で被災しました。震災が起きる前年の秋、夫婦の念願であったパン屋を長田に開店することができ、さあこれからという矢先に被災。店は全焼しご主人も煙に巻かれ亡くなってしまいました。しばらくは茫然自失となり何も手に着かなかったMさん。しかし、周囲の励ましや市の復興事業推進もあり、新しい復興商店街で店を再開することになりました。
Mさんのお店もマスコミに取り上げられ当初は賑わいを見せていました。ところが地元には人が戻って来ず商店街全体客足が伸び悩み、近頃では商売をやめる店が出始め、シャッター街になりつつあります。
先日Mさんの店に行った時のこと。「お店どうですか」と尋ねるとMさん「よそさんと同じでうちも本当にしんどいですわ。でも主人の夢でしたからやれるとこまで頑張ります。でもねえ、今一番辛いのは商売よりもうちの主人が世間から忘れられていくことです。震災で亡くなった人が忘れられることほど辛く悲しいことはありません」と呟きました。まさにMさんの言葉は「人は二度死ぬ」ことへの嘆きだったのではないでしょうか。
私たちは様々な災害や事件が起きると心を痛め、時に涙も流します。しかし時間が経てば忘れて行くものです。これは致し方なく、我々凡夫のサガかもしれません。しかし、だからこそ忘れない努力、営みが必要なのではないでしょうか。その営みの一つが亡き人への供養なのです。
我が家の先祖のみならず法界万霊へ思いを巡らし、祈ることが霊山浄土で修行をする人々への寄り添いになり、また、大いなる励ましにもなることを忘れないで頂きたいのです。