6月の法話 反復練習を超えて/植田観肇

かわいいリスが機械から出てきたクルミの善し悪しを判断し、良いクルミだけを割って中身をチョコレートの機械に入れます。

これは映画「チャーリーとチョコレート工場」の一場面ですが、なんとこのシーンはCG(コンピューターグラフィック)ではなく本物のリスを使って撮っています。動物の本能に逆らってクルミの中身を食べないよう訓練をするのは非常に大変で、このリスは二千回を超える反復練習を積み重ねたそうです。

このリスは大変な(トレーナーの?)努力によって本能を超えることができましたが、ひるがえって自分はどうでしょうか。私たち人間は本能ならぬ煩悩に日々悩まされながら生活しております。何とかして煩悩のない幸せな生活を送れるようにできないものでしょうか。

日蓮聖人は私たちのこんな疑問に対して、努力で煩悩を消し去ってしまうことは大変難しいけれど、法華経を全力で信じることで私たちも仏様の境地に達することができる、とおっしゃっております。

では、法華経を信じるとは一体どういうことでしょうか。

お寺のお上人はお題目が大事だと言うし、とりあえず毎日お仏壇に向かってお題目を唱えているけど、それだけで「信じる」ことになるのでしょうか。

答えは半分イエスです。お題目を唱えることは非常に大事な事で、それを毎日行うことは大変な修行といえます。でも、それだけでは完全とはいえません。

日蓮聖人が説いておられる「信じる」ことは、ただ単にお仏壇の前でお題目を口にすることではなく、自分の生活や社会に対してもっと具体的に関わっていくことを意味します。これを法華経を色読すると言います。口で読むだけでなく心と身をもってお題目を読むことが真に法華経を信じることなのです。

それによって私たちも先程のリスのように迷い無く煩悩を超えていく力が得られるのです。