6月の法話 好天気・悪天候/日 慧


「ちょっと曇ってきましたねぇ」

 何気なく空を見ながらご挨拶代わりの一言を述べたところ、
「そうですね。早いところ降って欲しいですね」
私としては降っては大変と思い言ったつもりだったのが、反対の返事をもらったわけだ。

 そう言えば、この人は農家の方で、田植えのこの時期、雨が降らなければ、死活問題ともなりかねない。いや、うっかり雨でも降れば困りますねなどと言わないで良かったと、内心ひやりとした。

 一般には天気が良いというのは晴れた日をさして言う。しかし、何が良いか悪いかは人により、時により必ずしも定まっているわけではない。ハイキングにでも行こうという人にとっては晴れた日が良いが、作物のために雨が欲しい人もいる。また同じ農業でも、稲の取り入れ作業をするには雨は困る。

 とすれば、「良い天気」などという言葉は一体どこから出たものか。仏さまから見れば、天気には本来良いも悪いもない。人の都合により、良い悪いができてきたということであろう。

 それでも梅雨の長雨は嫌だという人に、聞いて欲しいのが「島津の雨」といわれる故事だ。

 戦国時代を生き抜いた薩摩藩島津家には、雨が降ると戦いに勝つという言い伝えがあり、雨は縁起がいいと言われているそうだ。

 しかしそれは、実のところは、雨の中の戦いは誰しも嫌なもので、雨を嫌って士気が低下することを防ぐための方便だったというのである。雨は敵も味方も嫌だ、それを逆手にとって、味方を勝利に導こうとするものだというのである。

 こうして雨が降ると島津は、勝利の雨が降ったと喜び勇み、士気が大いに上がり、士気の下がっている敵を討ち取ることになる。

 嫌なものを好きなものにし、都合の悪いことを良いことに、そしてピンチをチャンスに変革するのは他ならぬ、自分自身の心の力によるものなのである。