9月の法話 お布施の行/宮本観靖

 

 「お布施ってお金の事ですよね?」

 先日お参りに来られた方からこんな質問を受けました。確かに今の時代、お布施とは僧侶の読経に対する謝礼として支払うお金、という様に解釈されている事が多いようです。

 包み紙に「御経料」と書かれていることもあり、これなど読経に対する対価という考えから来ているものだと思います。

 しかし、「お布施」とは元々「布施行」といい、私達仏教徒が行なうべき修行の一つなのです。

 自らの持ち物を施す事で執着心を取り除き、心を軽く、自由にしてゆく修行です。それに加え、自分に出来る事を他の人の為に施して差し上げるという「利他行」にもなります。

 施すといってもお金や物ばかりではありません。行動や考え方によってもお布施は行なえます。

 困った人の為に無償で働くボランティア、思いやりのある言葉をかけたり、温かな笑顔で相手を迎えるのも、お互いの心が穏やかになる立派な布施行です。

 そして、すべての布施行には共通していているものがあります。それは「させて頂く」という気持ちで行なう事です。決して「してあげた」と思ってするものではありません。

「してあげた」という思いには、そこに見返りを期待する心が表れます。何の対価も求めず、ただ人の為に「させて頂く」という心で行なう事が大切なのです。

 昔、お釈迦様が目の見えないアヌルッダというお弟子の、破れた衣を繕った事がありました。恐縮するアヌルッダにお釈迦様は、「この衣を縫わして頂くのは私の為ではなく、生きとし生けるもの為に布施の功徳を積ましてもらっているのだよ」と仰いました。

 修行を完成されたお釈迦様でさえ皆の為に布施の功徳を積まれるのです。修行中の私達が行なわないわけにはいけません。多くの人が多くの人に「させて頂きます」という気持ちを持てば世の中は幸せになっていくはずです。