9月の法話 借り物/偉美理庵


 遠出をするときはレンタカーをよく利用する。遠隔の地まで自家用車に乗って行くのは時間と体力が許さない。かといって、公共の乗り物だけでは融通がきかないことが多い。

 そこで車を借りることになるのだが、便利な世の中になったものだ。車だけではなく、ほとんどのものが簡単に借りられる。しかしそれだけに、心しなくてはならないことも多い。

 中学の頃だったか、友だちとのお金の貸し借りは絶対にしてはいけない。お互い不幸になるから、と教えられたものだ。欲しいものやお金を借りるより、質素倹約するという自制の心を養うことが大事だというわけだ。

 まったくその通りで、眼前の欲に駆られて人生を誤る人は少なくない。まずは欲望のままに生きるというあり方を改めるべきだ。

 また借りたなら、それを大切に扱うべきである。どうせ借りものだからと、乱暴に扱っても平然としている人がいる。壊れて注意されたら弁償すればいいんだろう、ぐらいの気持ちしかない人たちだ。ホテルや旅館の部屋だって、借りものである。他人様のものを貸して戴いているのであるから、自分のもの以上に大切にすべきであるはずだ。

 道路にしてもしかり。当然ながら自分のものではない、公共の施設であり、みんなのものである。それにもかかわらず、車から吸い殻やゴミを捨てたり、果てはわざわざ家庭のゴミを持ってきて捨てるという呆れ返った人もいる。

 こういった人たちに言いたい。仏さまから見れば、自身のものだと思っている車や家はもち論、身体やそして生命さえも、実は自分自身のものではなく、全て借りものなのだということである。この世にご縁を戴き、自然の恵みを受けて生かされているのが私たち一人一人なのである。

 借りものであるなら、大切にするだけではなく、恵みを戴いている自然に、そして縁ある周囲の全てに感謝し、少しなりともお返ししなければなるまい。