11月の法話 思いやる心/倉橋観隆


 私は兵庫県明石にある神戸刑務所で受刑者更生の一助として教誨師を務めています。収容者は現在約千八百人おり日中は工場と呼ばれる施設で作業をします。それは約二十箇所ほどに分かれており、犯罪歴や各自の適職を考慮し配属されます。そこで技術や資格を取得し、出所後の社会復帰の訓練を行うのです。また、自分の犯した犯罪に向き合うプログラムや身心の健康を図る運動の時間もあります。その刑務所行事で昨年こんなことが有りました。

 秋の運動会での事。収容者が最も熱くなるイベントです。体を思い切り動かしたり、何よりも私語を厳しく制限されている日々の中でこの時だけは応援等で大声を出すことが許されています。個人百メートル走、綱引き、玉入れ、障害物競争等。しかし、なんと言っても最高にヒートアップするのが所属工場の対抗リレーです。各部署の選抜メンバーが一ヶ月前から練習に励んで来ました。運動会当日決勝戦での出来事です。

 予選を勝ち抜いた七チームのトップを独走していたあるチームのアンカーがゴール寸前、突然足がもつれて転んでしまいました。結果は最下位。彼はうなだれ重い足取りでチームに戻っって来ました。

 すると他のメンバーはなんと彼の体中に付いた泥を払ったり肩を叩いて励ましているではありませんか。退場の時そのチームの応援席からは「ドンマイ」の声と大きな拍手まで涌き起こりました。彼らが工場対抗にこだわっていただけに、私にとって意外な光景でした。思わず熱いものが込み上げました。来賓席の方々も目を赤くしていました。彼らの胸の奥に眠っていた「人を思いやる心」にスイッチが入った一瞬だったのでしょうか。

 日蓮大聖人は「非道の悪人であっても妻子を慈愛する。これ菩薩の心の一分である」と説かれています。

 心の奥底に眠っている、人を思いやる菩薩の心を蘇らせる事が信仰の要になるのです。そのことを再確認できた一日でした。