3月の法話 文字の力/服部 憲厚

 本誌は、五十年以上に渡り多くの人に愛読されてきた歴史ある寺報である。私のような若輩が、原稿を書かせて頂けることは今更ながらありがたく思う。

 にもかかわらず、いつもいよいよ締切間際、焦って筆を走らせ後悔する。本稿も懲りず締切間際の為、急ぎ足で本題に移る。

 私がよく行く銭湯の浴場壁面には、このような文字が大きく掲示されている。
「健康とは他人から与えられるものではなく、自分自身の努力によって作られるものである。」その隣には「西式温冷浴」なる健康入浴法の指南が続く。その真偽のほどはわからぬが、要約すれば、水と湯に交互数回浴することで、絶大な健康効果が得られるというのである。

 さて、本題はこの健康入浴法の推奨ではない。その一見どうってことないような、掲示された文字の恐るべき力の話である。

 湯船から顔を出し、その一部始終をお伝えしよう。

 ある翁はこの掲示の前で数秒立ち止まり、唸り声と同時に水風呂に浴した。指南書を眺めるイケメンも涼しい顔で水と湯の出入りを繰り返す。あの掲示の前に立つものは皆、神の啓示を得たかのごとく敬虔な温冷浴信徒となったのである。

 私は文字の力について、考えを新にさせられた。

 その影響力たるや、締切間際の急ぎ足などもっての外で、一度文字となれば責任は重大である。

 文字には、時間空間を超えて万人の心を動かし、行動させる力があるからだ。「一々文々是真佛」として数千年もの間人々を照らしてきた経典がそれを示す。

 その力ゆえ、お釈迦様は妙法蓮華経の五字に万法を収め、日蓮聖人は、お題目の七字に生涯をかけられたのである。末弟として一文字を厳選し、一文字をもこぼさずにいたいと思う。

 最後に貴重な文字数をお借りし、今年度をもって九年間お世話になった能勢妙見山、真如寺を去る者として、仏祖三宝諸天、恩ある皆様に御礼申し上げます。

 南無妙法蓮華経。