2月の法話 知恩報恩/箕浦 渓介

 振り返るともう二年も前の話になる。私は大学四年間の生活を日蓮宗の総本山である、身延山久遠寺の寮で過ごした。今思えば大変貴重な経験をさせてもらえたと振り返ることができるが、当時の私はそんなことを考えている余裕はまったくなかった。

 毎日の勤行はもちろんのこと、広大な境内の掃除、諸先輩方からのたくさんの御指導など、、、そんな日々が休みなくほぼ毎日続くのである。そんな生活をしながら、お寺に隣接する大学に通うのであるから、受講態度はひどいありさまである。

 そんな四年間の僧道生活の中で特に影響を与えてくれたのが指導期間と呼ばれるものである。指導期間とは、入寮してからの三十五日間のことをいい、寮内での過ごし方、言葉遣い、法要所作、掃除の仕方などこれからの僧道生活の一番の基礎になることを指導してもらえる期間である。これが大変厳しいのである。入寮式の日、あんなに丁寧に優しく荷物の搬入を手伝ってくれた先輩は、翌日からはもういなかった。鬼のような形相へと変わり、あの優しかった姿を見ることは二度となかった。勿論、私は右も左もわからない、正座も五分ともたないような状態であったので、毎日が新鮮なことばかりであり、辛いものでもあった。しかしこの指導期間の中で多くの大切なことに気づかされることになる。指導期間を終えると親への電話が許可される。その電話では涙で一言も喋ることができなかったことを、いまでも思い出す。今まで私はどれだけ親に支えてもらってきたんだと思うと感謝の気持ちがいっぱいで涙を抑えることができなかったのである。そこで私は初めて、親から受けていた恩を知ることができたのである。
「知恩報恩」恩を知って恩に報いる、それは普段何気なく生活をしている中で、知らず知らずのうちに受けているものが多いかもしれない。私たちはできるだけそれに気づき、報いていきたいものである。