4月の法話 口は成仏の元/中沢 勇輝

 四月に入り、ようやく暖かくなってきました。

 暖かくなるとキツくなるのが花粉症。目がかゆくなり涙がこぼれ、鼻はひっきりなしに垂れてくる鼻水を拭きすぎてヒリヒリと赤くなってきます。頭もぼんやりとしてきて早く春が終わらないかとついつい愚痴っぽくなってきます。

 かといってスギやヒノキに囲まれた山の中に住んでいてはどこにも逃げ場はなく、この時期ばかりは一日中お風呂にこもるか、花粉症のない北海道か国外へ逃亡してしまいたい気持ちになります。

 つい一ヶ月前までは、毎朝氷点下の中でお給仕しており、あまりの寒さに凍えながら早く春が来ないかなとあれほど待ち望んでいました。ですがいざ春が来てみると、早く春よ終われと願ってしまいます。

 この調子だと、きっと春が終わると梅雨のジトジトの中、夏が来て欲しいと考え、夏は夏であまりの暑さに冬が恋しいと言っていることでしょう。毎年のことなのでいい加減慣れても良さそうですが、なかなか慣れる事はなさそうですね。

 さて季節のことに限らず私達は往々にして目の前のことにしか目が届かず、嫌な事も喉元過ぎれば熱さを忘れ、また次の目の前にある嫌な事から逃げ出したくなります。 これは私たちが迷いの世界におり、正しい見方ができないために起こると考えたのが仏様。さらに仏様はどうすれば正しい見方ができるのかについて説かれて

いるのですが、お釈迦様と直接お話しできない今となってはそれを理解するのはとても難しいと考えられています。 そこで日蓮聖人が私たちのために説いて下さったのが

法華経に照らして生きる方法で、それがお題目をお唱えするということです。赤子が母の乳を飲めば育つように、たとえ意味が分からずともお唱えすると功徳があるといわれるのがこのお題目です。愚痴を言う数よりも南無妙法蓮華経と唱えた数の方が多くありたいものです。