10月の法話 後悔したからこそ/箕浦 渓介
「あんなことしなければよかった」「あのときこうしておけばよかった」と人生には数え切れないほどの後悔があるものです。しかしあの時後悔したおかげで今の自分がある、幸せであると思えることがあるのではないだろうか。
私が高校生の時である。事の発端は所属していた部活を辞めたことにある。入部して半年、どうしても顧問の先生との馬が合わなかった。先輩、同級生、たくさんの人に説得されたが当時の私は聞く耳を持たなかった。それでもその時親に言われた言葉は今でもはっきりと覚えている。
「辞めてもいい。けれど嫌なことから逃げた先には必ず後悔が待っている。その覚悟はしなさい。」
言われた時はこんなに嫌な事から解放されるのに後悔することなんてないと思っていた。しかしそれはすぐに現実のものとなった。
私は部活の仲間を裏切ったという罪悪感から顔すらもあわせられなくなった。目で姿を確認しようものならトイレに隠れたり道を引き返したりとそんな有様であった。そこから先の高校生活はひたすら嫌な事から逃げ続ける日々で、人間不信にもなった。「あのとき辞めずにいたらこんなことには」それはもう何度も後悔したものである。
しかし私はこの後悔をしたからこそ今の自分があると確信している。この後悔をしたから自分を変えるためお坊さんになる、仏門に入る事ができたのである。厳しかった大学の僧道生活もあの時の後悔を知っていたからこそ乗り越える事ができた。乗り越えたからこそ仏門に入れたことの幸せも感じることができた。あの時の後悔は仏門に入るためのご縁だったのだと今では思う事が出来る。
選択肢を迫られたとき楽な方に行くことは簡単だ。しかしそれは後悔する覚悟をしなければならない。その後悔から何を学ぶのか、次にどう繋げるかを考えるのかが大切である。後悔を後悔のまま終わらせるのではなく未来の自分への糧にしていきたい。