2月の法話 宗祖御降誕八百年によせて/倉橋観隆

「この紋所が目に入らぬか。ここにおわす方をどなたと心得る」

ご存知水戸黄門の決め台詞です。

その黄門様のお婆様は身延七面山の女人禁制を解かれた養珠院お万の方でお母様はやはり法華経の大信者であられた久昌院久子様です。

そのようなご縁で黄門様も法華経へのご信仰が有り、お母様が亡くなられた後、その菩提を弔う為に水戸に久昌寺というお寺を建てられ現在日蓮宗の本山として栄えています。

 

ところで、その黄門様ご自身のお誕生日にこんな逸話があります。

家臣がお祝いの日であると、豪勢なお膳を用意したところ、黄門様はそれを止められ、白粥と梅干し一つにされました。その理由を「せめて今日一日を粗食とせしは、母上が我れを産みし折の苦しみを、終生忘れぬためである」と語ったということです。

黄門様にとって誕生日とは両親をはじめ周囲の人々に対する報恩感謝の日だったのです。それを忘れてはならぬと、自らを戒め家臣にも示されたのでした。  

 

さて、お誕生日というと今回のお話の標題とさせて頂いたように、今月二月の十六日は宗祖日蓮大聖人様がご誕生になられ八百年の慶賀に当たります。

大聖人様は現在の千葉県安房小湊に漁師の子としてお生まれになりました。そのご生涯はご苦難の連続でした。しかし決して屈っすることはなかったのです。

それはなぜか?お題目を弘めることで人々を救いたい。

その行動が取りも直さず自分をこの世に送り出し育んで下さった父母、そして縁ある人々に対するご自身の誕生への報恩行だったからです。

この大聖人様のお心が後世に伝えられ、お万様や久昌院様の信仰の薫陶を受けた黄門様に受け継がれ、ご自身の誕生日の迎え方の心構えともなったのではないかと思いを巡らせます。

大聖人様のこの慶事を迎えるに当たり、私たちも我が命の源を見つめ直す契機として、誕生日の迎え方の心構えとしたいものです。