12月の法話 メンテナンス/新實 信導

友人二人と一緒に自転車三台で坂道を下っていた。

だんだんとスピードがあがってきたので、減速しようとハンドルのブレーキを握った。

その時であった。ブレーキの留め具が折れ、ブレーキの取っ手が前輪のスポークに突き刺さり、急ブレーキがかかった。

突然のことであったが、気がつけば、中を舞っている自分がおり、まるでスローモーションのようにゆっくりと時間が流れていく。

どうにかしてアスファルトに怪我無く着地できないものかという思いで頭がいっぱいであった。両手から着地でき、軽い手首の捻挫ですんだ。

今から四〇年前のまさかの出来事であった。

 

自宅の隣には、廃品回収事業を営む小屋があり、おじさんが一人で廃品を分解し、金属類を売っていた。

そのおじさんから、不要な自転車のハンドルやライトなどの部品を分けてもらい自分の自転車につけてカスタマイズしていた。

ハンドルもいろんな形に付け替えたが、運転しづらくて元に戻したこともあった。

この事故は、日頃のメンテナンスを怠っていた結果であったかもしれない。

自転車が目立つようにと目先の形にこだわり、本来、走る止まるという基本的な部分の確認が欠落していたのである。

 

不測の事態は、予測していなかった突然の出来事のことで、「不測」の「測」には「推し測る」という意味があり、それに打ち消しの「不」がつき「推し測れない」「予測できない」という意味になる。

いつ起こるかわからない最悪の事態を考慮し備えることが大切であるが、なかなかそうは行かないのが日常である。

しかし、この不測も仏様から見れば必然の結果なのである。

結果には必ず原因があり、事故には要因があった筈である。

何らかの原因でブレーキ部品に亀裂が入ったのを放置した自分に原因があったのではないかと思う。

年末は何かと気ぜわしい時期である。そういうときこそ、気を大きく持ち、焦らずゆっくりと行動して新年を迎えたいものである。